もやもやの根っこ?

前回あれこれと書いたり、夫とメッセージしたりして、私の「もやもや」の大きな部分がなんとなくわかりました。2020年3月4月と比べて現状をどう認識すればよいのか戸惑っていること、とはいえ自分で何か対策できるわけではないこと、ではないかと思います。

感染者の数と社会の対応

誰でも感じているかもしれませんが、一番大きいのは、感染者の数と社会的対応の差です。春先だって「医療崩壊しないように新規感染をおさえよう」と言われていました。その論理でいくと、現状で、少なくとも医療現場が悲鳴を上げている地域に対してトップダウンで何らかの対策をとらないのは矛盾しています。

感覚の変化

春に頑張ったことが今それほど重視されていないように感じられることもきついです。どうやら世間では集まることが普通になってしまいました。例えば、番組担当者が遠隔参加していたラジオも、今はスタジオ収録がなされています*1。身の回りでも、会議は画面越しではなく、マスクをして離れて座ることが多いです*2。あのころは顔を合わせないでやっていたのに。自分の考え方をどうもっていけばいいのか、混乱します。

独自に対策しにくいこと

世間は、政府や自治体などの対応に引っ張られているように感じます。様々な団体や組織でフェーズやレベルといったものを定めていると思いますが、12月上旬、状況が悪化したように思えるのに厳しい方向に切り替えないところが多かったのは、大元がなにもしなかったからでしょう。自分の所属先も、新潟県が「注意報」を出すくらいではおそらく、上の段階とみなしにくかったのです。17日、新潟県が「警報」に切り替わったので、所属先でも方針を整え直し、周知していました。

自分だって

自分だって何かができているわけではありません。マスクをしてればいいわけではないと思いつつも、職場をはじめ人が集まる場所に出かけています。活動場では「三密を避けて」とは言われますが、なかなか難しいです。朝の検温もけっこう忘れてしまいます。
現在は、基本的に個人の判断に任せていますよね。カトリック教会など各団体が早々に集会を止めた春先は、そもそも人が集まらないようにしましょう、という流れでした。でも今は、『我々は感染防止対策をとっています、こういう対策をしていますが、リスクを考えて参加しないのは了解します』という状況かなと思います*3
というわけで、今思っていることを書いてみました。

*1:もちろん、リモートワークを続けている会社はありますが

*2:新潟でも東京でも。東京の場合は私だけなぜか遠隔参加

*3:集まることを強要はしないけど、よかったら来てねーと言ってしまうというか…。集まらないようにしようね、という方向は無いと感じています