入院:経過観察編

きゃあ、もう8月ですね。
検査入院と治療入院を体験し、次に入院するとしたら手術のときかなーと思っていたら、なんと、7月中旬に経過観察的な入院を体験してしまいました。高熱が出たせいです。何かおかしなことが起きていないか調べなくてはいけないようで、一週間、病院で様子を見ました。
急な入院だったので、予定変更の連絡等、最初はやるべきことで頭がいっぱいでしたが、それが終わると気持ちがとても落ち込んでしまいました。いつ何が起こるかわからない。健康体じゃないということを思い知らされたようでした。何も手につかず、ぼうっとする時間が多かったです。

新潟で買って来た枝豆、26年7月

幸いにも、特に異変はありませんでした。虚しい思いもしましたが、ちゃんと病院に行ってよかったと思います。
高熱が出る前は毎日なにかと出かける用事が続いたので、現在、そういうスケジュールにならないよう気をつけています。治療していないときなら何でもないことかもしれないけどね、今は病人なのでございますのよ。ふう。

認識

しばらくは、治療の話が続きそうです。
適切な判断ができないというか、重要なポイントを外すと、落ち込みますね。病気に対して私は正しい認識を持っていないのではないかと思う出来事があり、主治医にはきつく注意されました。
早期発見が難しいタイプだったのは受け入れていますが*1、それでも、その時々の判断や行動を後悔するときがあります。今回2回目なので*2、3回目はないようにしたいです。このあたりは夫のほうが冷静に見てくれるというか、彼の言う通りにすればよかったとも思います。
治療薬の影響でお通じが悪くなっているので、意識して食物繊維を摂っています。ブランリッチ(オールブランの硬派バージョン)や「かんてんぱぱスープ用糸寒天」を勧めてもらいましたが、続けていると意外と苦しく、たまには変化球が必要になりました。

豪華な朝ごはん、26年6月

この日の朝は、オールブランのブランフレーク、ヨーグルト、パパイヤでした。「ブラジルではパパイヤを食べていれば楽勝だったのにー」と言っていたら、夫がとなり駅のスーパーで見つけてきてくれました。言霊ってやつでしょうか。声に出してみるものですね。
毎朝、果物とヨーグルトを食べる豊かな生活をしています。

*1:昨秋の人間ドックではオプション検査を付けましたが、何も指摘されませんでした。また、後の検査過程でも、やはり見つかりにくかったかもね…と思わされることがありました

*2:1回目は、受診日前でも辛いと言って病院に行けばよかったこと

社会保障の狭間

前職を何の問題もなく辞めた後、求職中に病気がわかったのは、良かったのか悪かったのか、ということです。
加入している健康保険の傷病手当には該当しません。これは、病院の患者相談センターで相談した際、スタッフの方も「比較的手厚い保険に入っているのだから、何かないですかね…」と私以上に悩んでくれました*1。もし在職中に病気がわかっていたら、どうだったのだろうと思います。
失業保険は、受給資格の延長手続きについて説明を聞き、準備しています。
配偶者の扶養に入ってはどうかと思いましたが、1月から3月でそこそこ収入があったので、おそらく難しい。そして、世帯収入は低くないので、国民年金の猶予や減額には該当しませんでした。

素敵な色合いのバラを見つけて思わずパチリ、2026年5月

4月からの仕事が決まっていたら、転職後すぐ休職という状態*2になり、複雑な気持ちだっただろうと思います。今は大手を振って休養できるのでそこは気楽ですが、金銭面はなかなか厳しいなーと思った次第です。まあでも、もしフリーランスだったら、こういうことですよね…。
ひとつ良かったのは、前職の健康保険に個人で加入する手続きをしておいたこと。このため、空白期間が生まれず、安心して病院に行くことができました。

*1:加入先に問合せ、一定の制度があることは確認できました

*2:あるいは無理をして病院に行くのが遅れたかも

2026年度の激震

年度も明けて、5月になってしまいました。ぎりぎりまで仕事を引き受けるわ就職活動を続けるわで、ブログに何かをまとめる余裕なんてありませんでしたねえ。
さて、次の職場が決まらないまま新潟を引き揚げ、多摩で立て直しをはかろうとした矢先に、今度は私自身の病気が発覚しました。夫と同じ病院に通っています。

実家のモッコウバラ、26年4月

4月のイースター後から体調が悪くなり始め、検査も含め2回入院し、治療が始まりました。長かったような気がしますが、大まかな診断が下りてからまだ1か月もたっていません。それでも遅きに失したような感覚があるのは怖いところです。
というわけで、長期的なことなど考えられず、目の前のことに一生懸命従事するしかなくなってしまいました。がんばりましょう。

二年参り

始めて「二年参り」をしました。こちらでは、大晦日から元旦にかけてお参りをする習慣があります。

25年の大晦日諏訪神社
25年のお参りを23時30分ごろに済ませ、近くの酒造が開放した休憩所でのんびりしていたら、あっという間に人がいっぱいに。新年の26年は、お参りの行列に並んで迎えました。若い世代が多く、とても楽しそうでにぎやかで、友達と集まって新年を過ごすことをうらやましく感じました。
この年末年始は、12月26日(金)の夜から夫が新発田に来て一緒に過ごし、1月1日(木)の午後にそろって東京に行きました。今日、私は新発田に戻ります。

2025年のクリスマス

この地域での役割を終えていいのかもしれない、と思える話がクリスマスに飛び込んできました。気持ちを切り替えることができそうです。地域への愛着に対する葛藤は意外と続きました。県外に面接に行くと、どうして新潟に行ったのか、なぜ離れるのかという質問もされるし…。

25年12月、新発田教会のアドヴェント・クランツを加工してみた
ただ、お役目としては、これ以上ここにいなくてもよい、という流れができたように感じました。なんか、「腑に落ちた」というか。かみさまありがとうございます。ある程度、時間が必要なことでしたね。

待降節

気づけば、アドヴェントに入っていました。主を待ち臨むようで待ち臨めない、少しだけ待ち臨む?この季節です(どこかのラー油風)。

25年11月、新発田教会のアドヴェント・クランツ
次の職場はまだ決まらず、気づけば体調が悪くなっていました。「この状態ならば、これしかできなくてもしかたがない」、そんな気持ちでいるようにしています。